日本美術刀剣保存協会 リンク集
財団法人日本美術刀剣保存協会(にっぽんびじゅつとうけんほぞんきょうかい、英語名:The Society for Preservation of Japanese Art Swords)は、東京都渋谷区に本部を置く日本の公益法人である。
日本刀には美術品、工芸品としての価値があるが、明治維新にともなう廃刀令以降、海外への散逸が懸念されるようになった。さらに、太平洋戦争終結後、連合国軍最高司令官総司令部は日本刀没収を実施したため、破棄されるものが続出する事態となった。このような事態に危機感を持った有志により、1948年2 月24日、日本刀を後世に伝える目的で財団が設立された。当初は東京都台東区の東京国立博物館に事務局を置いていたが、後に東京都渋谷区代々木に移転した。昭和40年代には、会員から募った資金を元に、保護した刀剣類を公開するための施設「刀剣博物館」を設置した。さらに、昭和50年代に入ると、年々手に入りにくくなる作刀材料確保のため、島根県奥出雲町に「日刀保たたら事業所」を操業し、日本刀の原料となる「和鋼・玉鋼」を生産している。
日本美術刀剣保存協会が実施している日本刀の等級審査に関連し、数々の問題点が指摘されている。監督官庁の文化庁が行政指導しても財団が拒否するという異例の事態に発展している[1]。
* 2001 年、文化庁は財団役職員の刀剣類審査への応募を禁じ(いわゆる「窓口規制」)、財団もそれを受け入れる旨を文書で表明している。
* 2006 年10月、衆議院文部科学委員会にて、実際には窓口規制が行われていないことを衆議院議員保坂展人(社会民主党)が指摘し、文部科学大臣伊吹文明(自由民主党)が「インサイダーなどの疑い」を払拭するため指導の徹底を図ると答弁した。
* 2007 年3月1日、衆議院予算委員会第四分科会にて、財団側が文化庁の窓口規制を再度拒否していることが衆議院議員佐々木憲昭(日本共産党)の質問趣意書により発覚した[2]。佐々木が「(重要刀剣指定を発表する機関紙に)現職理事の名前が堂々と記載されている。大臣、どうお感じですか?」と問いかけ、文部科学大臣の伊吹も「私も先生と同じ気持ちだ」と同調し、内部統治への疑義や、改善命令を視野に入れると答弁した。さらに、佐々木は、理事が他人名義で審査申請している、特定業者にのみ申請期間が過ぎても申請を許可している、2業者からの申請だけで全申請の57%を占めている、といった点から「癒着」の可能性を指摘、現地での実態把握が急務と主張している。文化庁は、現職理事の窓口規制違反だけで既に27件発生しており、財団の客観性、透明性が求められており、さらに努力したいと回答している。
* 2007年3月27日、衆議院文部科学委員会、および、参議院文教科学委員会での審議にてこの問題が取り上げられた。参議院文教科学委員会の審議では、参議院議員鈴木寛(民主党)の質問に対し、文部科学大臣伊吹文明が「橋本(龍太郎)会長にご不幸があってから埒が明かなくなっている」[3]と指摘した。さらに、衆議院文部科学委員会の審議では、衆議院議員佐々木憲昭が「橋本氏は文化庁の指導を実行するよう筋の通った発言をしていた」[3]、衆議院議員保坂展人が「橋本氏は文化庁に従って解決を図れ、それまで(財団の)人事を凍結するとおっしゃっていた」[3]との指摘が相次ぎ、解決を図っていた橋本が亡くなり、その後、佐々淳行が会長に就任したことで混乱が発生したことが明らかになった。佐々が「(橋本氏死去後の)昨年八月、緊急理事会が開かれて佐々氏が突然、会長になった。(橋本時代からの)事務局長を即刻解雇し、一般の人の目に入る場所に(事務局長名を明記して)解雇になりましたと張り紙をした。橋本氏の方針を覆している。まっとうだと思うか」[3]と尋ねたところ、伊吹は「あまりに非常識なことが起こっている場合、民法の規定にのっとって適切に対処するようお願いをしなければならない」[3]と発言、さらに「次長には、もう決着つけろと指示してある」[3]と回答した。
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